
こんにちは、バンコク郊外の大学講師(@thaifoodfun)です。
最近こそ「海外就職」ということが盛んに言われるようになってきましたが、私が来タイした20年ほど前は、私の周囲では自分から好んで海外、しかも東南アジアで就職するなんていうやつは完全な少数派、アウトサイダーでした。
海外留学なら理解を得ることができても、就職となると

と度々言われてきました。
父親なんかは、私がタイに就職してからも数年で日本に帰国して仕事を探すものだと思い込んでいましたし、大学時代の先輩は、東海地方の大学や北陸の短大の非常勤講師の募集が出ているのを知らせてくれたくらいです。

私にとっては、多少は勇気がいることではありましたが、そこまで奇想天外でもない話でした。
しかし、その先輩に久し振りに会うと

と言うので、やはり多くの人にとっては理解し難い話なのでしょう。
というわけで、今回はそんな
「なんでタイで就職しちゃったの?」
という疑問に対して、改めて自分の答えを考えてみました。
コンテンツ:
理由①:家庭環境に海外に出る下地があった
私の父は大手企業のエンジニアで、銀行員だった母と結婚してすぐに駐在で南米や中東に行っていました。
実は、私は現在かなり国情がヤバい南米のある国で産まれました。

小学校に上がる頃には家族で日本に帰国しましたが、やはり現地で産まれた弟はスペイン語しか話せず、いとこと会話するときなどに
「言葉わかんねー」
ということで、私がよく通訳していたそうです。
その後も父は海外出張が多く、一回に3〜6ヶ月ということもざらだったんですが、よく海外のお客さんを自宅に招いて夕飯兼商談をしていたんですね。
その頃にはスペイン語はもう話せなくなっていたんですが、中学で習ったばかりの英語を話すチャンスで、父との仕事の話の合間に簡単なやり取りをすることができ、外国の人と外国語でコミュニケーションするということに快感を覚えました。
また、とある晩に中東からのゲストが私が持っていた方位磁石を借りて、決まった時間に祈りを捧げるところを見て、世界には様々な文化や習慣、宗教があるということを、自宅にいながら知ることができました。

父は典型的な日本の高度成長期のサラリーマンでしたので、海外出張がなければ基本的に朝7時に家を出て夜7時に帰宅というパターンで、私はそれを何十年も続ける父を尊敬はしていましたものの、そういうワンパターンの生活は嫌だなと思っていました。
しかし、毎回飛行機で海外に行き、数ヶ月滞在しては外国の人に技術指導(自社製品のメンテナンスを教える)したりする姿には子供心に憧れていました。
そういった環境でしたので、今思うと、漠然とですが自分も将来海外に出るんだという気持ちが芽生えていましたし、その下地も作られていたような気がします。
理由②:学生時代に参加したセミナーでの出会い
それに加えて、海外で仕事をするという気持ちが固まった出来事があったのですが、それが大学3〜4年次に参加したセミナーです。
夏休みを使って同年代の学生が集って発表やディスカッション、共同研究をする、いわゆるサマーキャンプが中国であり、アジア各国の友人がたくさんできたのですが、その際に意気投合したタイ出身の学生が、

と誘ってくれたんです。
当時はまだ学歴も実績もなく、留学する準備をしていたので、すぐにタイに来ることはありませんでしたが、このことがずっと頭の片隅にありました。
もちろんこの時点では、自分が将来タイで大学教員になろうとは夢にも思っていなかったのですが、この時すでにある程度そういう運命が定まったのかなぁという気はします。
理由③:将来は途上国で指導したいという夢があった
留学中にお世話になった教授にとって、日本人を教えるのは私が初めてだったということで、とても興味を持って熱心に教えてもらいました。
そして、その教授から事あるごとに

と言われていました。
ですが、ヨーロッパに留学する人なんて特に珍しい存在ではないし、日本には優秀な研究者も教育者も数多くいます。
自分の活躍できる場所はもっとほかの場所にあると考えていました。
そこで目をつけたのが途上国です。

私にとっては東南アジアに限らず、南米でもアフリカでも自分を必要としてくれるところだったらどこでもよかったんですが。
まあでも、そういう思いがあったからこそ、今の職場の募集を見つけることにつながったのだと思いますね。
理由④:若さとノリと勢いとタイミング
日本で大学を卒業し、学習塾などで講師のバイトなどしながら留学費用を貯め、留学という名の欧米放浪をしていたのですが、ヨーロッパでやっと修士課程を修了し、さてどうしようかと考えていたところ、現在のタイの大学で講師を募集している要項が張り出されていたんです。
一目見て、心の中のリトル自分に

もうすぐヨーロッパの学生ビザ切れるし、もうタイに行っちまおうぜ!!
って言ってたんですよね。
タイには行ったこともなく、縁もゆかりもない国でしたが、完全にその気になっていました。
まぁ、1~2割くらいは

という気持ちもありましたよ。
欧州か日本で働いて、50歳くらいになったら早期リタイアして、それから途上国でボランティアでも、という青写真を描いてましたから。
でも、ノリ・勢いというものがないとこういう人生における大きな決断はできないと思うんですよね。
若くて独身のうちの方がフットワークが軽いですし。
それに、大学なんて実質的に定年がないので、このとき応募しないでこのポジションが埋まってしまっていたら、多分タイには来ていなかったでしょうね。
理由⑤:ライバルが少なかった(いなかった)
ラッキーだったのは、当時うちの大学は主に欧州で教員を探して、日本にもアメリカにも募集をかけていなかったんです。
教員や研究者募集のポータルサイトも今のように充実していませんでしたし。
つまり、私が見つけた就職口は、当時競合するライバルがほとんどと言っていいほどいなかったわけです。
ブルーオーシャンとはまさにこのこと!。
しかし、以前も書きましたが、初任給は25,000バーツと破格の安さでしたし、もちろんそれなりに苦労してきましたよ。
今でもそこまで給与はもらっていませんし。
私も初任給このくらいでした(しかも家賃補助含めて)。
博士号を持っててもう1万バーツくらい。教育はやりがいはあっても給料が安い😭
企業とは違うので最低5万バーツは適用外です。 https://t.co/ODLihzySWW— バンコク郊外の大学講師🇹🇭 (@thaifoodfun) 2019年2月20日
ここ10数年でタイはかなり学歴社会化が進んだ現在では、タイのメジャーな大学で教えるには博士号を取得しているか取得見込みであることが前提条件となっています。
また、最近は大学でも企業でも、一般人で海外就職を希望する人が増えてきているため、以前より就活の条件が厳しくなってきています。
しかも近年は、私の研究分野では毎年1,000人の博士号取得者を出すというアメリカからの採用が多くなっています。
まあ、これが先行者利益ってことなんでしょうね。
ある時、日本の大学の同級生がフェースブックで、海外転職してタイに来たいけど募集がないかメッセンジャーで聞いて来たんですが、さんざん私のことを冷めた目でみてたくせに、それはないんじゃないかと思いますね。
理由⑥:他の人にないユニークな経験が積める
私の研究分野では特にそうですが、外国人のメンバーと仕事をする機会は増える一方です。
しかし、日本人の視点で見ると、外国の人たちとはやり取りをするときに考え方の違いを感じることが多々あるんですよね。
言語もそうですが、時間の感覚や評価の仕方が違うと、価値観を共有するのは大変です。
当然ですが、日本人だけで仕事をした方が物事が早くスムーズに運びますね。
現地採用者や駐在員がそのあたりの違いが最初分からず、日本の本社とタイの支社との板挟みになって悩むというのは有名な話です。
しかし、文化や習慣が異なる人たちと一緒に働いたり、そういう人たちをまとめるマネージメントまでこなすことができるとしたら、視野が広がり、日本でしか働いたことのない人たちにはない経験を積むことができます。
そして、その経験はもし数年で日本に帰国するとしても、次のステップに進む時に大きな財産になるのではないでしょうか?
帰国せず日本以外の国で就職したりする時にも、その経験は海外への適応能力があると見なされて評価されます。
また、在籍中に提携している海外の大学に短期間交換留学することが必須な日本の大学もありますし、将来日本に帰国して就活するとしても、今後は海外生活で得た経験がもっともっと求められるようになると思います。
理由⑦:タイという国が住みやすく気に入った
私は前述のように、働き始める前までタイを訪れたことは一度もなかったのですが、タイに来てみてこの国と人々のことがとても気に入りました。
バンコクはすごくエキサイティングな街で、日本のものがほとんど日本と同じように入手できます。
また、もともと寒いのが苦手な私は、ドンムアン空港に降り立った時に湿気を帯びた温かい空気を心地よいと感じ、体調が良くなるくらい気に入りました。
食事はおいしく、親日の人が多く、基本的にタイ人はとても穏やかで、困ったことがあるとすぐに救いの手を伸ばしてくれます。

また、長年遠距離恋愛だった現在の妻もタイを気に入ってくれて、しかも来タイ1年ほどで彼女に合った仕事が見つかったことも大きく、結婚してタイに住むことに理解を示してくれた妻の両親にとても感謝しています。

いままでの約20年間に息子の誕生や教育をはじめとするさまざまな経験をしてきて、現在でもいろんな問題に出くわしますが、そのたびに「タイではこうするんだね」と確認し、協力しながら困難を克服してきました。
海外での生活では大変なことがたくさんありますが、そんな時に

って思うことができないと、状況を乗り越えるのは難しいです。
日本の企業に勤める高校時代の先輩が、中国とインドネシアでの駐在を経てタイに赴任になったので、バンコクの居酒屋で一杯やったのですが、その時、

と話してくれました。
駐在となると有無を言わさず赴任させられるのかもしれませんが、海外で就活しようという人は、その国の人々や文化などが自分のフィーリングに合うかどうか見極めることが大切です。
まとめ
私の場合は、
がまずあって、さらに
- 子供の時から海外志向が強く
- 外国語を習得するのが好きで
- 学生時代に海外に出てタイ人の友達もできた
ことが自分をタイに導いてくれました。
また、
- タイは日本人にとって生活がしやすく
- 妻も一緒に住んでくれることになった
という条件が揃って、そのままタイに住んで働いて今日に至ります。
タイで働いてみたいなっていう人は、これからもどんどん増ていくことでしょう。
しかし、
- 口でそう言うだけの人や、ただ漠然と「タイいいなあ」と思うだけの人
- また実際に行動しようとしても周囲からの反対の声にあって諦めてしまう人
も少なくないと思います。
そんな時に思うだけで行動に移せない人反対の声に屈してしまうのか、はたまた自分の気持ちを貫けるか。
やっぱりいろいろと条件が揃っても、最後はやりたいことに対する熱意じゃないかな。
「なぜタイで働く?」という問いに対する自分の答えをハッキリさせる必要はあると思います。
そして、自分にブレない軸があれば、タイに限らず他の国々でも職を得ることが可能になるのではないでしょうか?