
みなさんは学校で教師に恵まれた方でしたか?
できる子だけをひいきしてさらに引き上げることだけに心血を注ぎ、他の子たちには必要なサポートをせず、失敗しなければいろんなことを学べないのにミスをすると叱責し、何かに挑戦しようとすると「それでじゅうぶんだ」「ムダな努力はするな」とストップをかける。
そんな教師に教われば、さぞかし個性や才能をいかんなく発揮し、いつまでもこころざしを高く持って成長できる人間になれるでしょう(笑)。
日本で受けた没個性教育になじめず、小さい頃から劣等感だけを抱え、教師という職業を毛嫌いしていた自分がタイの大学で講師をすることになるとは、人生わからないものです。
前置きが長くなりましたが、この記事ではタイで大学生をどう教えどう成長させていくか、私がこれまでに日々試行錯誤してたどり着いた答えについてお話ししたいと思います。
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子供に水泳を教えた話
息子が小学校低学年だった数年前、石橋を叩いて渡る性格の息子は、水泳の授業があるのに、水面に顔をつけることもできませんでした。
妻と相談して、日曜日にとあるプールに連れて行くことにしましたが、いざ練習を始めようとすると、息子は「やっぱりやらない。」
最初の日は浅いプールでボール遊びだけ。その次の週はボール遊び+背中におんぶして水中ウォーキング。そして3週目にはおぶったまま、プールの深いところ、ちょうど息子の頭がかぶるくらいのところを歩いてみました。
「ちょっと潜るから息を止めないといけないけど、ちゃんとパパにつかまってれいれば大丈夫だから。」
そこからだんだん水に対する恐怖感が取れていきましたが、まだまだすんなりとはいきません。
ビート板を使ってばた足させても、プールの深くて足がつかないところに差し掛かる手間で怖気づいて泳ぐのをやめてしまいます。
「せっかく頑張って半分以上泳いだんだから、思い切ってこのまま進んでいかないと。いつも同じところで止まっちゃうままでいい?」
と、精神論的喝を入れ、そしてすかさず、
「大丈夫。ずっと腰のところを持っててあげるんだから。絶対に沈んだりしないから。」とフォロー。
すると、水を蹴る足に力強さが増し、25mをバタ足でいけるようになりました。
ずっと隣に寄り添い、姿勢が悪くなるたびに注意してあげていると、だいぶ泳ぎに安定感が出てきました。
一定のスピードでまっすぐ進めるようになったし、何よりもプールの深さが気にならなくなったみたいです。
しばらくして、ビート板を前から引いたり、彼の腰に手をそえながら隣で歩いたりするのが苦になってきました。
そこで、水深が増す最後の10m手前で「だいぶ泳ぐのが早くなって、パパはこれ以上ついていけそうにないから、そろそろ手を離すよ」と声をかけ、手を放す瞬間に息子の身体を勢いをつけて前に押し出してみました。
すると、私を残してスーッと1人で泳いでいくではないですか。
向こう岸に着いて、私の方を向いた時の彼の得意げな表情は忘れることができません。
よくアメとムチを使い分けると言いますが、私は「サポート」と「チャレンジ」だと思います。
なぜ息子がプールの深い場所に差し掛かってもバタ足を続けるという「チャレンジ」ができたのか、それは私が彼の体を支えてあげるという「サポート」をしたことで、絶対に溺れたりしないという保証があったからです。
親が
- サポートをしてくれている
- ミスをしてもかばってくれる
- 自分の味方でいてくれる
という安心感があってはじめて新しいことに挑戦できるというのは、親子だけでなく教師と生徒の関係、はたまた職場での上司と部下の関係にも通じるものがあると思います。
戦々恐々としていた学生たち
私は、現在の大学に着任する前にタイに来たことは一度もなかったのですが、タイ人はのんびりですぐサボるという話は耳にしていました。
いざ授業をはじめてみると、雰囲気はユルユルで態度も悪いし、学習意欲のイの字もない。
「大学は学問を追求するための場所だから、学びたくないやつは来なくていい。」
昔の某有名予備校の名物講師のように、講義に竹刀を持っていくということはありませんでしたが、基礎的なことがなっていなかったせいもあり、学期中だけでなく休暇中も課題をバンバン。
あとから聞いた話だと、課題をサボった学生は授業当日「〇〇先生に殺される〜」と冗談抜きで怯えていたそうです。
いちおうは名の通った大学、彼らは決して能力がなかったわけではないのですが、とにかく創造的怠慢。
実際に私の担当する授業をとった学生は「今までの人生の中でいちばん頭を使った」と言っていました(笑)。
必ずしも「優しい先生=良い先生」ではない
教師が目標を高く設定するのは学生たちのために必要なことです。
しかし、
- 「こんなこともわからないのか?」という態度で学生たちに対して何の思いやりもなく、わからないことがあっても助けてくれない
- どのような思考過程を踏んでその答えにたどり着いたのかは一切無視して、教師があらかじめ決めておいた通りの答えにならなければ切り捨てる
こんな教師のもとでは独創的な発想が生まれることなどは期待できません。
では、反対に学生に常にやさしく接していれば良い教師なのかというと、そうとも限りません。
うちの大学は履修科目が多いし、タイ語で書かれた文献がなくて英文を読まないといけないくて大変だろうからと、高い目標を設定して努力するように仕向けない教員ははっきり言って問題です。
学生は楽に単位を取れるかもしれませんが、それでは学生一人ひとりも成長しませんし、大学も教育機関としてのレベルアップができません。
ですので、学生に限らず人を育てるには、
- しっかりとしたサポートを施しながらも、
- 彼らが持っている能力を最大限に引き出さないとできないような高い要求をする
ということに尽きるのではないでしょうか?
これまで教員をしてきた中で得た気づき
一部被るところはありますが、学生が安心できるサポートとチャレンジし甲斐のある高い課題を与える上で私が実践していることは以下の8つです。
① 感情的にならない
あまりにも熱血教師が過ぎると、学生は圧倒されてのけぞってしまい、サポートでなく押し付けになってしまいます。
中には学生を圧倒することに快感を覚える教官もいるようですが、まじめでシャイな学生は、
「ああ、自分と先生の間には生涯埋めることのできないギャップがあるんだ...」
と絶望してしまいますし、デキる学生からは、
「そんなことでいちいち興奮しなくても」と冷ややかな目で見られるだけです。
② 対等な立場でいる
これまで感銘を受けたり多大な影響を受けたりした私の担当教授からは、
- 「私たちのように〇〇を目指す人間はこうあるべきじゃないか」とか
- 「われわれ〇〇の専門家はこういう視点で物事を見れるようになるのが理想だよね」
などと、同じ目線で接してくれ、見下したような物言いをする人は皆無でした。
「これくらいは自分で考えて解決してくれよ」と思う時もありますが、そこであえてそうは言わずに、学生自らが「待てよ、これは自分でできるな」と気づくことができるように仕向けることが必要だと思います。
③ 現時点での限界と今後の可能性を見通す
到底届くことができないような目標を設定して多くを要求し過ぎると、どれから手をつけたらいいか分からず、いつまでも手をつけることすらできません。
恥ずかしい話なのですが、後から考えるとどうしてこんな目標を立てたんだろうというくらい現実を無視した目標を設定して、結局は3日坊主で終わったことが何回あることか...
ですので、学生とは、
「いまの時点でどこまでできる?」
「○○までです。」
「よし、今学期中にどこまでできそう?」
「××まではできるようになりたいけど、ちょっと無理かも。でも△△なら。」
「オッケー、とりあえず△△までは確実に到達しよう。どうしても行き詰まったら来て。」
というように、どこまで把握したか、あとどれくらいできそうかを本人と話し合って決めます。
コツは、毎回本人の実力よりもほんの少し上、何もしなければ無理だけど、頑張って手を伸ばせば届きそうなところに目標を設定することです。
④ 目を合わせて話し、質問する
スマホをいじりながら、またPCのキーボードを叩きながら話を聞く人も少なからずいますが、そういう人にまじめな話はできなくないですか?
しっかり目を見て話すことで、「あなたのことを真剣に考えていますよ」というメッセージと「真剣な話し合いをして、有意義な時間にしましょう」というメッセージの両方を伝えることができます。
また、話しが抽象的で、よく考えが練られていないと感じたら、
- 「それはどういう意味?」
- 「もう少し具体的に説明してもらえる?」
とやさしくもしっかりとツッコミを入れ、問題点をなるべく明確にして足りない部分を自分で理解してもらうようにしています。
⑤ 力強いメッセージを送る
- 「君ならこれは絶対にできる」
- 「この調子で頑張れば大丈夫」
相手の可能性をどれだけ信じているか、強い口調で力説することは、特に挫折しそうなときに大きなモチベーションになります(ただし、本気でそう思っていないと説得力に欠け逆効果になります)。
息子との水泳の練習で、息継ぎのタイミングが遅くて頭があがってしまうことがよくあり、息子が諦めかけているのがわかったのですが、そのとき私が、まるで自分が練習しているように
「うーん、難しいな。クソッ、今日中にこれができるようになるぞ!」
と言うと、再び顔つきが変わってやる気モードに入り、最後にはしっかり息継ぎをマスターすることができました。
難しいことにチャレンジしていることをじゅうぶんに認識しつつ、できるまであきらめないで頑張れ!というメッセージを送ったんです。
⑥ 弱点を克服することより長所を伸ばすことを優先する
指導する側からしてみれば、学生の欠点なんて見つけようとすればすぐに見つかりますし、それを指摘してひたすら修正させていれば教える仕事なんて楽勝です。
しかし、教わる側からすると、
- 「あ、そこはそうやったらダメ」
- 「そこはもっとこういう風にしないと」
などと足りない点ばかり指摘されていると気が滅入るだけです。
正直言って、入学してきたばかりの学生の良いところ、ほめることができるところを探し出すのは至難の業です。ですが
- 「へえ、君はそういうのが得意なんだね」
- 「先学期に比べて考えるスピードがだいぶ上がってるけど、自分でもそう感じる?」
など肯定的な言葉を投げかけ、長所をさらに磨く手伝いをしてあげることが大切です。
「タイ人は、調子に乗ると手をつけられないくらいものすごいパフォーマンスをする」という話を聞いたことがありますが、人の実力はほめられた方が伸びるということは科学的にも証明されています。
⑦ リスクはチャンスと表裏一体だと教える
カンファレンスへの参加や客員で他大学に行く時など、私はこの歳になっても、何か初めてのことを経験するときには不安になります。
どうしても「失敗するかもな」とネガティブな気持ちになってしまいます。
しかし、リスクのないチャンスなんてあるでしょうか?失敗を恐れて何もしないようでは、いつまでたっても成長は期待できません。
そこで私は、そういったことを正直に学生に話します。
そして、コンベンションなどの発表の場に積極的に飛び込んでいって、その経験が自分をどう変えたかを語るんです。
実際、ミャンマーからの留学生がフィールドトリップでヨーロッパでの学会を見学し、英語も研究内容もかなり進んでて場違いだと感じていたのですが、2日間頑張って通ったところ、オーストラリアのとある大学のチームから声をかけられ、ディスカッションに参加させてもらい、とても勉強になったと喜んでいました。
様々なチャレンジの場に送り出してあげることができれば、学生は大きく成長できると思います。
⑧ いつでも対話可能な環境や雰囲気づくりをする
大学には「オフィスアワー」と呼ばれ、教官の研究室で学生の個別な質問に答えたり相談にのったりする時間があるのですが、長らく有名無実化していました。
そこで、ある年から1学期に1回は必ず私の部屋を訪れて、雑談でもいいからしておくようにというルールを作りました。
なかには課題の提出期限の延長や試験前の個人指導を頼みに来る学生もいますが、やむをえない事情がある場合もありますので、話はちゃんと聞きます。
そうすると、将来日本に留学したいとか、実は家族が経済的に苦しくて、なんていう相談を受けるようになりました。
もちろん、交換留学プログラムを探したり、奨学金を見つけるのを手伝ったりと、仕事は増えましたが、そうやって一人ひとりに対して「あなたのことを気にかけていますよ」ということを示さないと学生の方も心を開いて話してはくれません。
学生を自分の子供だと思う
正直に言いますと、学生たちと接していて、最初は「自分の子供じゃなくてよかった」と思っていて、子供がタイの学校に通いはじめると「息子がこんな大学生になったら嫌だな」と思っていました。
- 「こんな風に育ってほしいな」
- 「この子の親はどんな人で、どんな教育を受けさせて、大学に入学する前にはどんな学校に通ってたのかな?」
と思うような子はほんのわずか(しかも女の子...)。
しかし、自分の子どもが成長するにつれていろんなことを教えてあげながら、学生たちにも授業の時間だけ会って自分の言いたいことを言っているだけでは、どんなに自分が教えていることの内容が良くても彼らの心に響かないということがわかったのです。
ということで、決して学生たちを見下したり子ども扱いしたりしているのではないのですが、まだまだ手助けが必要な学生たちをどうやってサポートしたらいいんだろうと考えているうちに「彼らが自分の子供だったらするアドバイスを送る」という結論に至っています。
冒頭に子供に水泳を教えた話をしましたが、たいていの親はこのように子供に寄り添って成長するのを助けたことがあるのではないでしょうか。
不登校になったお子さんに自宅で勉強を教え、のちに難関の高校に合格することができた、という話もあります。
もし人を指導する立場になって困ったら、子供にどんな風に物事を教えてきたか思い出してみるといいのではないでしょうか?
子供がいなくても、自分の親や教師、友人や先輩など、これまで自分に大きな影響を受けた人が自分にどんなことを言い、どんなことをしてくれたのかというのは大きなヒントになると思います。
長文になってしまいましたが、私の経験が、理想の教師や親、上司に近づくための一助となれば幸いです。